私が中学生の頃祖母が亡くなって、

 

その時お坊さんが仏壇の前でお経を唱えていて、

 

内容というかその行為自体が

 

よくわからないと感じながら

 

正座をして聞いていました。

 

その後も特に興味が湧くこともなく過ごしていました。

 

ですが少し前に般若心経の現代語訳が流行し、

 

「そんなことが説かれているんだ」と思ったのと、

 

面白いと感じて、少し興味が湧きました。

 

釈迦の死後100年後に『龍樹』が

 

釈迦の『縁起』という哲学を600巻以上の経典・般若経としてまとめ、

 

それを凝縮して262文字にしたのか『般若心経』です。

 

簡単に言うと般若心経は舎利子にむけた言葉で、
『この世のあらゆる物体には実態が存在しない』=『空』(くう)
という存在というか概念を説いている。

 

お経の一部ですがこの様な言葉があります。

遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃
(おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)
とは自分のことは自分でも知り得ない部分がある、

 

人間は自分の意思で生きているのではないと訳されるようです。

 

以前アレルギーの記事を書いた時、

 

自分の意思では無いのに、

 

身体はいろいろなことを知っていて、

 

人類の奥深さを感じたことを思い返し、

 

その通りだなぁと納得しました。

 

歴代哲学者との共通点

 

ドイツの哲学者カント
『物自体』の考え方や、

 

フランスの哲学、自然学者デカント
『我思うゆえに我あり』の過程に
お経との共通点があると感じました。

 

カントの『物自体』は見えかたは人によってそれぞれで、

 

丸い物体を見るとして、

 

Aは丸いとはこういう物と感じていますが、

 

Bが見ると丸い物はAにとっては三角かもしれません。

 

(よく分からないかもしれません^^;)

 

自分の見えている見え方と別の人が見えている見え方は同じとは限りません。

 

デカントの『我思うゆえに我あり』は

 

例えば自分が草原にいるとして、

 

目をつぶっている時は周りには

 

全く違う暗闇で荒れ果てた土地が広がっているという過程で

 

「自分が思っているということは

 

自分という人間は存在する」という結果に繋がった。

 

その過程がお経の『空』と共通する部分があると感じました。

 

すごく深くて、説明も難しいし、理解することも難しいです。

 

もっと分かりやすく説明できるように

 

哲学の勉強していきます!

 
ちょっとした「ヘェ〜」ばなし

釈迦は実は中国の老子がインドへ渡って改名して釈迦となったという説もあるんです!

 

 

スポンサーリンク